2013年7月17日水曜日

福島映画塾

この7月13.14.15の連休を利用して福島へ行ってきた。


楽映舎という映画制作会社代表の前田社長に誘われて、福島大学の有志達が集う映画作りに参加してきた。


震災で疲弊した福島への支援の一つとして、物資などではないが10年後、20年後に向けて文化として福島に映画が根付けば嬉しいなという気持ちからだ。

参加したのは横井健司、瀬木直貴、深作健太監督でそれぞれの監督が約10名の学生を指導しながら3日間で1本の映画を完成させるという趣旨の映画塾。

私は全体の撮影担当者への簡単な撮影指導と深作組について指導した。

どの組も大体10分程度の短編を完成させたが3日目の午後3時からの上映開始にギリギリ間に合い、学生諸君は有意義な時間を過ごせたのではないだろうか。

2013年7月12日金曜日

さよなら渓谷 劇映画

久しぶりに面白い映画を見た気分。

いろんな愛の形があるんだな、人間て不思議な生き物だな。

昔のATGの映画に良く有ったような男女の愛し合う所から始まるなんて珍しいなと思ってみていると、なる程愛の映画だからだ。

画調は決して良いとは思わないけど、演出家の神経が隅々まで行き届いてる様に見えた。
「悪人」との違いはこの作品では人物のアップに望遠系のレンズを多用していて、気分というか気持ちという曖昧な表現だが撮影者として人物の気分が離れているように見える。

話はよく練ってあるとは思うが、途中で主人公の女性が直接レイプされた本人ではなく帰っていった方の女であるのが、ちょっと腰が引けてるのではないだろうか。

人間を良く見ていると感じさせるすばらしい作品だった。
そしてラストカット、違う人生を選ぶのかどうか。

2013年7月1日月曜日

レディースデイ 2010年10月

新宿のピカデリーに映画を見に行った。

 ついこの間まで映画が始まる直前に小屋に入って、コマーシャルやら予告編も見たくなく、本編の映画だけ見て、面白ければ次回も続けて見て、それでも面白ければまた続けて見るというような映画鑑賞法だったのだが、時代はいつの間にか座席指定の1回だけ見るような形態になってしまった。

少なくともシネコンでは。 

此処の所日本映画は好調なのか、この新宿ピカデリーではレディースデイの水曜日には30分以上も前に見たい映画のチケットが売り切れていて、先週など見たい映画が満席でだめだったので他のでもと思って、その他の数本を見ると、全て満席で結局あきらめたものだ。

今日も見たい映画は20分前で売り切れ、その近辺の映画も全て売り切れていて、結局1時間先の「君に届け」という恋愛映画のチケットが取れたので今日は念願の恋愛映画お勉強日だと観念した。

本当はアクションの「13人の刺客」を見てスカッとしたかったのだが、私の時間の流れがそうはさせてくれなかった。
 

シカシダ、こんなに映画館に客が来ているのに、我々のギャラというか技術者としての報酬はおそらく30年位上昇してないのではないだろうか。

これは私一人の意見ではないと思う。映画会社のえらい人達にぜひともこの点を考慮していただいて、ギャラのアップと、製作環境の向上を目指して欲しいものだ。 


映画の内容だが、主人公の男性をことさらさわやか風に描きたかったのだろうが、特別に彼のファンでない私には気持ちが悪いほどオカマっぽく描かれていて、男子校出身の私にはこんなヤツいつもどついたったな、と私の高校時代を懐かしく思い出してしまった。

ともあれ現代におけるもてるヤツの定義を私の中にインプットしておこう。 

主人公の女性にしても、ホラーの貞子というあだ名を誇張せんがための描き方なのだが、そんなに貞子に見られるのがいやなら髪形帰ればいいじゃん、と感じてしまうほどの一本調子の演出で、映画見ながら笑いが出てしまうほどだ。

取り巻きの友達たち、連佛美佐子とあと一人名前を知らないのだが、この二人は非常にうまくハマッテいて、彼女たちがいなければこの映画は持たなかったなと思う。

ただ女子高校生だというのに、大体の女の子の出演者の化粧が目立ち、キャバクラ物語とでも言えそうなケバさに、今の高校生ってこうなのかなと考えてしまった。

編集自体あと30分切ればすっきりするのにな、と思いながら何度も上映中時計を見てしまったのだが、高校生達の意見を聞いてみたい所だ。

撮影だが、アップで女の子の吹き出物や化粧痕が目立ち、フィルターでも使ってもう少しきれいに撮ってやれば良いのになと感じた。まあイマジナリーラインさえ理解していないキャメラマンだからしょうがないかな。

目線の間違いがあまりに多く、その多さゆえに気にならなくなっているのに、自分自身考えさせられた。

あといつでも微妙に動く映像だが、じっくりと表情が見たいときでもキャメラが動きすぎて、落ち着かなかったと思うのだが。

でもこれは仕事が無い私の、忙しいキャメラマンへの僻みかもしれない。

2013年6月29日土曜日

三朝温泉 2011年10月 

投入れ堂
鳥取県の中部に三朝温泉という温泉がある。

 東京から行くと飛行機で鳥取空港経由で行っても3時間くらい掛かり、関東の人にはあまりなじみがないと思うがこれが結構イケテル温泉だった。 

 温泉の三大評価ポイントは、
1.泉質
2.街の雰囲気
3.料理
こんなかな。
だから東京からの距離は評価外だ。

 映画の撮影で約一ヶ月程この温泉地とこの近くで撮影してたのだが、なんといっても温泉の質がすばらしく、晩秋で肌寒い気候だったけど、風呂上りに近くのスナックで時間潰しても身体が温まってた。

 温泉に含まれるラジウム含有量が多く、ラジウムというか放射能のおかげで身体が温まるのらしい。
すばらしい事に毎日ホテルの朝食に、さめた温泉水が置いてあって、二日酔いの胃袋に心地よかったし、そのおかげで安心して二日酔いになれた。
 

 町の至る所には温泉が出ていて、飲泉用にコップも置いてあったが、焼酎のお湯割には少しぬるかった。 

 旅館は50軒位で温泉地としては中堅規模の大きさなのかな?大規模なホテルや昔ながらの温泉旅館が三朝川をはさんでバランス良く有って、撮影の最初の頃は泊まっていたブランナール三朝という国民宿舎のお風呂に朝晩最低2回は入っていたのだけど、撮影中に知り合った町の旅館の方から「うちのお風呂にも入りに来ないや」と何度も声を掛けられ、最初は遠慮していたのだが、他のスタッフから昨日は何処其処のお風呂にお邪魔したなどの話を聞いて、次の日から毎日のようにいろんな旅館のお風呂をお借りした。

 「橋津屋」「いわゆ」「中屋」「木屋」「「大橋」「花屋別館」etc。

みんなそれぞれ特徴があるすばらしいお風呂でした。

 時々は旅館の方にご主人のお話が通ってなくて、怪訝な顔をされたりしたのでそのときは失礼しました。町の中にも「株湯」「たまわりの湯」という源泉の浴場や、三朝川に面した「河原湯」もあって十二分に温泉を堪能させていただいた。
 
 

 温泉のあとは、当然ストリップ!

 三朝には有ります!私は行ってませんが撮影だけしました。

 そしてスナックもあります。美人ママのいる「たんたん」、話し上手なおばちゃんの「もも太郎」、
わかい娘が一人いる「みさ」、選り取り見取りです。 


投入れ堂のある三徳山登頂風景
 来年、我々が撮影していた映画「恋谷橋」が封切りになると、三朝の旅館が予約で一杯になるかもしれないので、みんな今のうちに三朝に行こう!

 兵庫県の湯村温泉、夢千代日記で有名になったけど、そのモデルはこの三朝の芸者さんがモデルだと聞く。まだそんな芸者さんもいるかもしれません。

ただし赤いスーツのコンパニオンのお嬢様は予約が必要です!

恋谷橋 劇映画 2011年11月 

2011年秋に撮影した「恋谷橋」という映画が先日完成し、初号を見てきた。

 決して潤沢な予算で撮影された映画ではなかったけど、楽しい思い出が沢山詰め込まれた作品だった。
 今はこういった低予算でも劇場公開を目指す作品とテレビ局がバックに控えた大作系の映画に二分化されて、中規模な作品が減ってしまったように思う。

 

時代によって映画のつくり方が変わっていくのはいたし方の無いことかもしれないが、映画が完全に商品としてだけ扱われ、作り手の良心が片隅に追いやられている状況は映画にとって危機だと思う。
 

 ワーナー映画の様に最初に完成させた作品を普通の人に試写して見せ、意見を聞きそれを取り入れ、編集直しでまた見せ、意見を聞きまた編集を直してやっと作品として完成させるような作品もあると聞く。本当にアメリカらしい完全に商売として割り切って作品を作っている。自分としてはこれは無いなと思うのだが、、。

 「恋谷橋」のように監督が作りたいと考え、それに協力してくれる人々が後押ししてくれた、このような映画がもっと沢山出来て欲しいし、作り手もそれに答えるように頑張って参加する、そこから心に残る作品も出てくるのではないのか。

画を決して資本が有る人達だけのものにして欲しくないと切に願う。





 
 

鳥の唐揚げ 2011.5.3 


 京成線の立石にある「鳥房」という唐揚屋に行った。
カウンターに5~6人と座敷に20人位入ると一杯になるこじんまりしたお店。
3時開店と同時に入ったがその時点でお店は満員、同時に外に何人か待っている状態になった。

お店を取り仕切る叔母さんに、足を出さないでとか、もう少し詰めてとか叱られながら名物の「素上げの鳥」を注文。

壁のメニューには唐揚げは時価となっていて少し構えたが、一品580円で安心、揚げ立ての鳥の半分が出てきて、熱い腿を引きちぎって食べるのだが、ジューシーな鳥の味がして絶品でした。

 このお店は帳場のシステムで、入口付近にどっかりと座った女将さんが現金を扱い、注文を一手に取り仕切る叔母さんは注文と品物を運ぶだけ。お支払いは女将さんに。

昔のお店には良くあったけどね。
 のんびりビールやお銚子を飲んでいたらお店の叔母さんから、外に待ってる人がいるから早く食べてねと急かされ、心地よい昼下がりの時間は終わりを告げた。 
下町っぽい面白い所だったし、鳥も満足でした。

その近くには昭和の臭いが強く残る飲み屋街があった。

恐らくかつては青線だったところだろう、もう何年かしたら再開発とかで取り壊されるのだろうな。
懐かしい風景を折角見つけたのに。

巣鴨の餃子 2011.5.5

連休の合間、巣鴨の「ファイト餃子」というお店に寄ってみた。

巣鴨というより都電荒川線の庚申塚といった方が良いのかもしれない。
巣鴨からだと20分くらい歩くのだが庚申塚からは一分くらいかな。

以前来たのは横浜の映画学校時代の恩師、佐藤昌道先生と学校の同級生数人とで平日の夕方四時くらいからそこで落ち合い2~3時間餃子を肴にビールを飲んだとき以来で2回目だ。


巣鴨商店街は連休中なので結構沢山の人がいた。
赤いパンツの店を始め、色々なお店を見ながらぶらぶらと歩いていく。
人混みがきれたあたりにその店はあったのだが、予想に反してと言うかこっちの見通しが甘かったというか、お昼過ぎの店の前に約20人ほど行列していて一寸嫌な感じ。

でも折角来たのだから最後尾に並ぶと、我々の後ろに並んだ子連れの夫婦がうざい

40歳くらいかな、仲の悪い夫婦らしく並んだとたんに
「餃子はいいけどチャーハンは頼んじゃだめよ」と女房、
「うん餃子だけ」と旦那。

しばらくすると待つのにいらだったのか再び女房
「さっき大盛にしたほうが良かったのに、絶対にラーメンなんか頼んじゃだめよ」

どうやら此処に来る前にどっかで麺類を食べて来たらしい。
旦那「、、、餃子だけ」
と無口な人だが意志は固く餃子への執念は強かった。

さりげなく振り返りかえり観察すると、丸顔の眼鏡をかけたお母ちゃんは表情に乏しく、亭主はあまり笑ったことが無いような渋ズラで一見会社の課長さんか部長さん風。
でもこの夫婦の関係では、出世しないから女房の風当たりが厳しいと見て係長がいっぱいかな。

1歳くらいの子供は二人のそんな会話に慣れっこなのか指を口に咥え一言も発せずに大人しくしていた。

それ以降も女房の「後でまた来よう」とか「夕方にしたら」とかの攻撃を
お父ちゃんはひるむことなくこなしていた。

我々もそんな会話に嫌気がさしてきた。

並んでから20分ほど待ったころやっと座れ、写真のようなふっくらとした餃子を食べることが出来た。
この店の餃子は皮が他店と違い厚く、焼き方も変わっていて、唐揚げの様に油で揚げてあり、このようなふんわり膨らんだ餃子で味わい深かった。
ビール2杯と餃子25個(1260円)を二人で平らげ、あまりのおいしさに焼いた餃子20個と冷凍の生餃子を40個お持ち帰りした次第です。

ご馳走様でした。

華麗なるギャツビー 映画

1974年に同じタイトルで映画化されているようで、なんとなくそのタイトルから見覚えがあるような無い様な。
主演がレッドフォードだったのは覚えてたが、他は違うストーリーだった。
自分が覚えてたのは砂漠にラスベガスを作り、なぜか破産してロサンゼルスに無一文で帰って来た話だった。
でもそれってなんだっけ、全く忘れちまってる。

このデカプリオのギャツビーの映画の素晴らしいところは、パーティーシーンの演出。
というか撮影、セットの素晴らしさ、出演者の芸の達者な所といい、他のどの国も真似できない豪華なシーンになっていてこれだけでも映画を見る価値がある。
かつてのイタリア映画でも、フェリーニの映画にも良く上流階級のパーティーシーンがあったが、ちょっとアメリカ映画ではスケールが違っていてものすごい出来だ。

アメリカ映画、おそらくニューヨークでは無く西海岸で撮影されたんだろうと思ってたら最後のクレジットでオーストラリアのシドニーで撮影されていた。これも驚きだ。

クレジットにはパナビジョンとREDと並んであったので、おそらくはキャメラ自体はREDでレンズをパナで準備したんだと思う。
シネスコだったけどピン送りの時にレンズの息継ぎがなかったのでおそらく16:9の天地をカットした形でのシネスコだろう。
珍しく引きのギャツビーの家に寄っていくカットとかフィックスでもピンボケっぽかったのが数カットあった。撮影時のモニターでわかんなかったんだろうな。ちゃんと一度は覗くとこんな事故は防げるんだけどなあ。
全体というか、華麗なる話だから人物も結構フラットにライティングしてあったけど、主人公やギャツビーが悩んでいるとこはさすがに、暗部を作り心理的な表現をしてたように思う。
デジタルでの撮影でした。

2013年6月28日金曜日

少年メリケンサック 劇映画


車内の撮影風景、車を牽引している
2008年4月撮影。
2009年2月封切り。

「メリケンサック」は不良が喧嘩のときに拳にはめる金属性の指型、
「少年メリケンサック」はパンクバンドの名前。
これだけでこの映画が凶暴な連中の物語だと予感させられます。
 脚本は宮藤監督のオリジナル。


大手レコード会社の窓際社員に偶然ネットで発掘された80年代のパンクバンドが一緒に全国をライブツアーする凶悪&報復絶倒のロードムービーです。          

 劇中合計6回のライブ撮影があることから、ロケハンでは世の中にこんなにライブハウスがあるのかというくらいに見て歩きました。
ネットで発見される80年代のライブはパンクの発祥当時の雰囲気を出すため、実際に行われていたパトライト、工事灯、拡声器、地味なライティングを作りましたが、監督が特に拘ったのは当時のステージと客席の高さ関係で意外と難問で、一時は客席を希望の高さまで上げる案まで出ました。

 これはライブ中、客がメンバーに触ったり、メンバーが興奮した客を蹴飛ばす、殴る、ボーカルが歌いながら客席に唾吐き、ダイブしたりとパンクのライブに必要な客とバンドの一体感を作り上げるのに大いに役立ち、実際にバンドをやっている監督ならではのこだわりでした。

ライブの撮影は大量のエキストラがノリノリなので困難を極め、助監督は全員頭をモヒカンでその中に入り、私と撮影助手はモヒカンにはしませんでしたがそれぞれが手持ちキャメラでライブのうねりを感じました。

監督:宮藤官九朗 
Bキャメラ:松本ヨシユキ 
照明:吉角荘介     
撮影助手:横山公亮 新島克則 島秀樹 石田将士

機材:三和映材 SONY F35 

鳥取フィルムコミッション40周年に向けて

自主上映活動40周年に向けての言葉
2011年12月鳥取砂丘で鳥取FCの清水さんと後藤監督と


 自主上映活動40週年、ご苦労さま、そしておめでとうございます。
40年という長い間、継続された精神と努力に敬意を表します。

 世界には色々な映画があります。
そして日本にも色々な映画があります。
大きな資本をかけてそれ以上の資金を回収しようとする映画もあれば、作家が思いを込めて自己資金で作る映画もあります。
大きな予算で作られる映画を否定するつもりは毛頭ありませんが、それらの作品はそれなりの予算が宣伝にかけられ、何らかの形で我々の耳目に触れ、周知するように作られていきます。
小規模な映画は如何に傑作な作品であろうとあまり我々の知るところまで到達できないでいます。清水さんたち鳥取フィルムコミッションが活動されている自主上映はこういった日の当たらない傑作や時代を飛び越えた名作を地道に宣伝し、映画の感動を鳥取のみなさんに分け与えるという素晴らしい活動だと思います。
 東京にいても、鳥取で生活をしていても感動を求めなければそれは手に入れることは出来ません。市民の皆様も映画鑑賞だけに留まらず、鳥取フィルムコミッションの方達と一緒に日の当たらない傑作を見出し、その感動を共有して欲しいものです。

 何といっても芸術、文化は人間が心豊かな生活をする糧ですから。

これからも清水さん達が鳥取で上映活動を続けて行かれることを切にお願い致します。


撮影監督 田中一成

落語娘 劇映画

撮影所の江戸村で花魁役の女優さんと

2007年6月東映京都撮影所で撮影。

 「やい捨五郎」
「なんでえ婆ァ、血相変えて」
「禁断の噺が中原俊師匠で映画になるとよ、知ってるけ」
とこんな調子で始まる映画で舞台は現代の東京と江戸。近未来アクション派の私に時代劇が出来るんかいなと思いつつ、師匠のお供で江戸を探しに東奔西走、やっと探し当てた京都の太秦にちょんまげと花魁が生息する江戸を発見。喜びもつかの間、我らこの地にしばし軟禁される事になりました。

太秦には暴れん坊将軍の東田君がいて、「やっぱ時代劇はこれでっせ」と障子紙を駆使したライティングで江戸を再現してくれはりました。びっくり仰天のコボルト製HMIライト、雨天でも養生要らず、助かりました。

松宮のアニキに「セットの天井が無いのがバレルンですけど」「田中さん、いつも座って撮影してないで立って見てください」不思議な事に立ち上がると天井は隠れ、ロケセット慣れしていた私はアニキにセット撮影を教わりました。

撮影にはP2カードを使用したキャメラを使用、すべてのカットが別ファイルに成るためロールナンバー、訂正ボールドが意味をなしません。堅牢で便利なこのカード、今回は少しでも空いた時間を見つけるとマックを立ち上げ、私と記録さんでバックアップを作りながら取り込みましたが一体誰が撮影済みをハードディスクに取込むのか。撮影部?パソコン部?(あったっけ)。

東京と京都スタッフの愛の結晶、禁断のお噺をお楽しみください。お後がよろしいようで!

監督:中原俊
照明:東田勇治 
美術:松宮敏之

撮影助手: 新島克則 石田将士 

中学生円山 劇映画

エンケンさんのライブの時の撮影部
舞台になった団地









前作の「少年メリケンサック」以来四年振りの宮藤監督との仕事です。
撮影は2012年6月から7月にかけてです。
封切りは2013年5月18日でした。


2011年6月下北沢で大人計画の舞台を観劇後、監督からお話を頂き撮影を楽しみにしていました。今回も監督のオリジナル脚本で、主人公円山君の団地での生活と彼の思春期の妄想を描いた物で、彼の妄想と現実が複雑に絡み合った構成でした。

円山君は「自分のチンコを舐めたい」との思いから毎日前屈を繰り返し練習しますが、同じ団地に住む子連れの男にその行為を悟られたと勘違いし、彼との妄想談義になっていきます。空からグラビアの女の子が下りて来たり、ヌーブラを付けた裸女たちと演舞したりと思春期ならではの妄想です。撮影中は我々にも楽しい妄想が広がる現場でした。

撮影は多岐に渡る妄想の部分をどのように表現するか悩む事が多かったのですが、その分楽しめたのも事実です。
特殊なレンズを使ったり、美術的に異空間を造ったりし、CGも多用しています。
人間は誰でもが妄想します。これは人間だけの特権かもしれません。良い事だけではなく悪い事もあり、妄想とは現実の自分との距離を測れる素晴らしい物かも。

そもそもこの映画は、妄想したり、自分のチンコを舐めようとしたり、人間の秘密の部分、どうしようもなく駄目な部分、恥ずかしい部分を全肯定する作品です。


監督:宮藤官九郎 
照明:吉角荘介
撮影助手:古長真也 榊原直記 田川雄一 岩崎真也